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零式艦上戦闘機(A6M)


一一型系統(一一型・二一型)

 一一型は零戦が制式採用される前に前線からの強い要望で重慶へ爆撃を行っていた爆撃機の援護機として漢口基地に配備された試作機のことです。
昭和15年9月13日に重慶上空で初空戦を行い、日本側の記録ではI-15と
I-16で構成された中華民国軍戦闘機27機を零戦13機が無損失で全機撃墜したという華々しい戦果を挙げています。

 二一型は一一型を基に空母への搭載を前提として本格的に量産された型で、三菱重工と中島飛行機双方で生産されました。 空母のエレベーターに
合わせて翼端を50cmずつ折り畳めるようになった他、クルシーと言われる
無線帰投方位測定器や着艦フックなどが装備されています。 真珠湾攻撃を
始めとする大東亜戦争の緒戦に実戦投入され、その長大な航続距離と卓越
した運動性能、20mm機銃2挺の大火力は連合国軍に衝撃を与えました。
多くの優秀な搭乗員が操縦していたこともあり二一型は多くの伝説を生み出しました。
        瑞鶴から発艦する二一型(EII-102号機:岩本徹三乗機)


三二型系統(三二型・二二(甲)型)

 三二型は実用化後初の大規模な改修が施された性能向上型で、1942年
4月頃から三菱重工で量産が開始されました。 エンジンを2速過給機付きの
栄二一型(離昇1,130hp)に換装して、主翼の両端を切り落とすことで二一型で問題となった高高度性能と横転性能の改善が図られました。 また20mm
機銃の携行弾数を60発から100発に増やされ武装も強化されています。
しかし機体改修に伴う燃料タンク容積の削減により航続距離・航続時間が低下してしまった為、急遽二二型が開発されました。

 二二型は1942年末から三菱重工で生産され、主にソロモン諸島の戦いに
投入されました。 エンジンや胴体部分の基本設計は三二型とを踏襲して
いますが、翼内燃料タンク容量の増量による重量増加に対応するため、主翼を二一型と同じ翼幅に戻し、翼端折り畳み機構も復活させています。 また20mm機銃を九九式二号三型に換装した武装強化型の二二甲型も生産されました。   ソロモン諸島上空を飛ぶ二二型(UI-105号機:西澤廣義乗機)


五二型系統(五二(甲・乙・丙)型)

 五二型は翼端を三二型と同じ11mに戻し、排気管を集合排気管からエンジンの排気圧を推進力として利用できる推力式単排気管に変更されたのが主な特徴です。 三二型の角ばった翼端と違い、五二型の翼端は空力性能向上を目的に円形に整形されています。 これらの改良により最高速度、上昇力ともに向上し、自動消火装置を装備することで防御力も高められました。

 20mm機銃をベルト給弾式の九九式二号四型20mm機銃に換装して翼の強度上げて急降下速度を高めた五二甲型、 機首右舷の九七式7.7mm機銃を三式13.2mm機銃に換装して前部風防を45mm厚の防弾ガラスとした
五二乙型、 三式13.2mm機銃を両主翼に1挺ずつ追加して計3挺に増やしてて座席後部に操縦員頭部保護用の55mm防弾ガラスを装備した五二丙型
など様々な改良型も生産されました。 五二型は甲・乙・丙も含めると三菱重工
              硫黄島上空を哨戒する五二丙型(ヨ-137号機:坂井三郎乗機)             と中島飛行機で約6000機量産され、零戦の最多量産型となりました。